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母校80周年 菊友会大会でお聞きしました

思い出に残るあのこと、このこと、あの先生
母校創立から80周年。10月23日の菊友会大会に出席された方々から思い出に残る恩師や出来事をお聞きしました。




◆中10・安本(鈴木)正さん 最大の思い出は冬の至大荘。2代目校長の四宮茂先生とともに、全員が一糸まとわず守谷の浜で禊ぎをし、砂まみれになりました。英語の清成孝先生は新卒で初めてクラスを担任していただきました。
◆中11・大八木英夫さん やはり至大荘です。遠泳は3マイルと5マイルがあり、先輩が指導してくれました。故天谷庸三郎先生(博物担当)。5年間クラスが変わらなかったので先生とのおつき合いも情愛細やかで、卒業後も公私ともにたいへんお世話になりました。
◆中16・松井龍雄さん 通称ガマこと国語の松本定雄先生のことは忘れられません。授業の下調べがすごかった。それをわけもわからない年齢の僕らに情熱を傾けて教えていただきました。年賀状はずっと続いていました。
◆中17・黒崎昭二さん 林三郎先生には可愛がられました。瀬川キヨ先生の試験が10点満点で6点しかとれず、塚本喜善先生に励まされました。湯野先生も厳しくて立派な先生でした。
◆中18・中澤忠光さん 昭和16年に入学したが、間もなく第2次世界大戦。中学2年からは勤労動員もあって勉強する機会が皆無に近かったのが残念です。林三郎先生は怖かったけど、やんちゃな中学生にとっては面白い先生でした。漢文の素読を教わった細野治一先生や最所顕文先生、「鬼畜米英」という言葉があったあの時代に英語を教えられた原隆男先生、安井昿一郎先生、清成孝先生が思い出に残っています。軍事教練の教師もいましたが、授業が苦しかった割にはまったく印象に残っていません。
◆中19・伊藤晴康さん 2年間担任だった吉田勇先生。教えは「ルールを守れ」「チームワークを守れ」で厳しい面もありました。クラス会では長年ご自分が描かれた静物画を提供していただきました。
◆高3・黒川剛さん 平野實さん(高1)さん、原田和明さん(高2)らと九段新聞を創刊しました。タブロイド版のペラ1枚。印刷所は先輩のツテを頼り、秋葉徽章から広告もいただきました。先輩に原稿を依頼したら「キルケゴールについて」なんてのがきて参りました。
◆高3・藤井輝郎さん 2年2組の担任だった飯本稔先生。東大出の若くて優秀な先生でした。大学受験でもおおいに助けられました。九段には優秀な先生が多くいらっしゃいましたが、特に記憶に残る先生です。
◆高4・大浪十三さん 思い出に残る恩師といえば山岳部の顧問だった国語の五味田先生、キャベツというニックネームだった英語の大川先生。自分の代だけと思いますが、修学旅行はクラスごとに行く先を決めました。わがクラスは新潟県新津の油田を見学し、会津の五色沼から東山温泉に泊まりました。その夜、体育の柳先生から差し入れられた一升瓶をみんなで飲みました。行きも帰りも夜行でしたが面白かった。
◆高5・土屋康子さん 音楽の水谷先生には音大を、体育の湯野先生には体育大を勧められましたが、家の反対で進学したのは家政科。しかし、今はライブで歌っており、水泳のインストラクターも現役です。折々に菊友会の人脈が私の人生を開いてくれました。
◆高6・纐纈信義さん 体育の時間に皆が靖国神社側の出口から抜け出し、神社の境内に入って行くのでついていったら、体育の先生にひどく怒られました。担任だった英語の斎川仁先生は優しくてよく話をしていただいたので印象に残っています。
◆高9・熊谷長行さん 初めてサッカー部を設立、初代の顧問が中田(加藤)三郎先生でした。最初は負け試合が多く、弱かった。昼はサッカーに打ち込み、夜は天文部で天体観測にいそしみ、クラブ活動に没頭しました。

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