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哀悼 鍛治利秀君を偲んで 高4回 高野光正

鍛治利秀君が去る2月4日急逝されました。謹んで哀悼の意を表します。兄上・長女ご夫妻も九段の卒業生であっただけに母校を愛する気持ちは人一倍強く、昭和52年にはPA会長(当時は父母会)、菊友会会長は昭和63年から2期6年、法人九段初代理事長と要職を務めて頂き母校並びに菊友会の発展に多大な功績を残された経緯はご承知の通りです。

特に東京都から千代田区への移譲問題と法人九段の公益社団法人認定には弁護士としての立場からも格別のご尽力を頂き、その結果千代田区立九段中等教育学校が今や有名校となり、公益社団法人九段が運営する「尽性園・至大荘」は母校は元より一般社会でも利用され貢献しています。4月15日彼が開設した青葉総合法律事務所が主催し「鍛治利秀弁護士を偲ぶ会」が法曹会館で200人の参加者の下、盛大に執り行われました。菊友会からは元会長鈴木謙一氏・副会長赤司久雄氏(当時)を始め多数の関係者の皆様、法人九段からは野本俊輔理事長を始め関係各位、関西菊友会からは中村正治会長、同期会である至高会から多くの仲間が、彼の仕事である法曹関係の多数の方々と共に出席し故人を偲びました。

鍛治君とは昭和21年旧制都立九段中学校の最終学年として入学して以来69年間公私に亘り親しくお付き合いをさせて頂きました。私が会社経営者時代には顧問弁護士をお願いし会社発展に貢献して頂き、また菊友会会長時代には様々な難しい局面の都度常に後ろで支えてもらいました。

既に体調不良を訴えられていた昨年9月・10月に何回か会う機会があり、ある日九段下から九段上への坂を上っていた時に急に立ち止まり“息苦しいんだよ、俺の病気は何なんだろう”とあの元気印の鍛治君の口から聞いた最初で最後の弱音でした。まさかこんなに早く逝かれるとは未だに信じられません。最後に会ったのは亡くなる2日前でした。ベッドに腰掛けあの人懐かしい微笑みを浮かべじっと目を見つめ、迫り来る最後の姿など微塵も見せず筆談で書かれたメモには確りとした文字で“ALSに罹ってしまった、もう1度みんなと飲みたいよ!”とお猪口で飲む手振りもしながら書かれていました。人間としての尊厳と彼の偉大さを感じた瞬間でした。

お世辞にも上手いとは言えないが何時も周囲を楽しませてくれたゴルフ・カラオケ・旅行をご一緒出来ないのは本当に寂しい限りです。ただただご冥福をお祈りするのみです。

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