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戦争混乱時の母校生活〜塚本正人氏(中20)

“終戦前後の九段での6年間で鍛えられた心身は卒業後の会社勤めのどんな逆境をも跳ね返す力となった”と大先輩は語りました。やっと秋になった10月に広報委員は塚本氏(中20)からお話を伺う機会を得ました。塚本氏は昭和18年4月に第一東京市立中学に入学し、その7月には東京が都政を布くと共に、都立九段中学に校名が変わり、卒業時には新制の都立高等学校となった経験を持つおひとりです。

『入学した年は、戦争の影響もほとんどなく、第二代四宮茂校長の率先垂範について行くのがやっとでした。夏冬の至大荘合宿では守谷の浜での素っ裸での寒中水泳、騎馬戦、マラソンそして教師の指導のもとでの自習時間、時には息抜きとしての怪談や真っ先に指名された試胆会等もありました。2年の1学期までは学校も機能し、夏には尽性園に宿泊しての松根油の採集や農作業があり、その折、尽性園脇の河原に双発の戦闘機が不時着したときにはみんなで救助に行きました。戦況が厳しさを増した昭和19年12月からは2年生全員、3年生以上の一部の生徒は学徒動員令により東京中央郵便局に出勤することになり、30人位ずつが各課に配属され、私も書留係となって使命感を持って勤務しました。暮れから翌年の3月、5月の東京大空襲の猛烈な焼夷弾攻撃やその後の機銃掃射の中、奇跡的に生き延びてきました。戦後動員解除後は自分の家もなく、必死の生活でまだまだ混乱も収まらず、敗戦の気落ち、デノミ、新学校制度など激しい変化の中で動揺しつつも学校生活に何とか戻ることが出来ました。卒業後の大学進学、就職、社会生活も苦労の連続でしたが、それを乗り越えられたのも、当時の先生方の持てる力全てを生徒に教え込もうという気概のお蔭と、心から感謝しています。』
85歳とは思えぬ張りのある声でお話をされ、毎年継続のクラス会の便りと共に仲間と収集・作成した当時の資料を菊友会に寄贈して戴きました。(原田忠禮・高21)

●中20 クラス会

6月24日(水)開催。私達は昭和18年入学、24年高校を卒業なので今年85才、7人集まるのがやっとでした。会場は沼袋駅近くのミニ・ホール<サロン平和の森>。メンバーの一人、堀内環氏は東京芸大出身の現在も現役プロ歌手、彼の熱の入った歌唱指導と指揮、同じく東京芸大出身のプロ・ピアニストである竹尾聆子さん(竹尾新吾氏夫人)の力強い伴奏で、万感をこめて校歌と至大荘歌を歌いました。その後<仰げば尊し>を歌って、我々を教え、鍛えて下さった素晴らしい恩師の方がたを偲びました。(塚本正人)

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