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特別講演 楫取能彦氏(高17)

撮影:藤代興里(高18)

“吉田松陰の義弟にして盟友” 楫取素彦の生涯

先祖が大河ドラマに

平成27年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロイン杉文(のちの楫取美和子)の二度目の夫である楫取素彦は私の高祖父です。

私は素彦から5代目の玄孫になります。素彦と美和子はドラマが始まるまではほとんど無名でした。しかしいきなりドラマになったのではなく、数年前から山口県萩・防府、群馬県前橋で顕彰活動が行われており、記念行事や特別展覧会・記念誌の出版などもありました。平成25年にNHKから話が舞い込み、ドラマ化が決定。私には先祖のドラマ化は驚きでしたが、同時に前述の地方にとっても大事件だったのです。

吉田松陰との強い絆が運命を切り開く

藩医松島家の次男として萩で誕生した素彦は12歳で小田村家の養嗣子になり、小田村伊之助と改名。藩校明倫館で学び教え、22歳の時江戸藩邸に勤務し翌年江戸で吉田松陰と出会います。儒学者である伊之助は斬新的な考えを持つ兵学者松陰に共感、すぐに意気投合し、さらに松陰の妹寿との結婚で松陰と強い絆を持つようになります。

そして松陰の要請で松下村塾を援助し塾生とも交流します。松下村塾は2年10ヶ月の間に久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など92人の弟子を有し、やがてこの中から明治の指導者を輩出します。大老井伊直弼の日米修好通商条約締結により老中暗殺を企て刑死した松陰から、伊之助は松下村塾を託されます。NHKがほとんど無名だった素彦と文の存在を知り、類い希な教育者吉田松陰が一番信頼した人物として、楫取素彦に焦点を当てドラマ化したのではないかと私は考えています。幕末の政治激動期に長州藩は攘夷決行により公武合体派に京都から追放され、禁門の変を起こし文の夫久坂玄瑞は自刃します。楫取家所蔵の「涙袖帖」は久坂玄瑞が生前妻文宛に送った手紙を再婚後に素彦が巻物に仕立てた物です。誠実な人柄とおだやかな性格で人格者ゆえに藩政府に登用され、倒幕に向けて活動していた伊之助は幕府からの追求を逃れるため、藩命により楫取素彦と改名。長州藩は薩長同盟を背景に幕府との戦いに勝利し、慶応3年10月将軍徳川慶喜が大政奉還を表明し新政府が樹立されます。

地域の発展に尽力〜世界文化遺産の功労者

明治維新後新政府の参与となり40日で免官、藩政に携わり藩主没後隠棲します。そして足柄県参事、熊谷県権令、初代群馬県令となり養蚕、製糸、絹織物などの産業振興と教育の発展に尽力し、草創期の群馬県政に大きく貢献「名県令」と称されました。特に経営難に陥っていた富岡製糸場を閉鎖せず、継続を中央政府に強く要望し実行したことは今日の世界文化遺産登録への功労者と言えるでしょう。妻寿の死後妹文と再婚、群馬県令を辞し東京へ移り、元老院議官になり華族に列し男爵となります。62歳で貴族院議員に当選し76歳まで3期に亘り当選。この間防府に転居し、美和子と共に明治天皇第10皇女貞宮多喜子内親王の御養育主任を務めますが、貞宮は3歳で夭折。素彦は大正元年84歳で逝去、美和子は大正10年79歳で逝去します。ドラマ化のお陰で、昨年防府に素彦と美和子の銅像が建てられました。(高橋暁子・高17)

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