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宮中歌会始の選者は九段卒業生 〜歌人 今野寿美さん(高23回)〜

1952年東京生まれ。学生時代、日本の古典文学に親しんだことから短歌の実作を始め、1979年「午後の章」50首により第25回角川短歌賞受賞。
1992年、三枝昂之らと隔月発行の歌誌「りとむ」を創刊、現在編集人を務める。宮中歌会始選者。日本文藝家協会、現代歌人協会会員。歌集:『花絆』『世紀末の桃』『若夏記』『雪占』『さくらのゆゑ』他
歌書:『恋に揺れる野の花々』『24のキーワードで読む与謝野晶子』『歌のドルフィン』『歌がたみ』他

『九段の桜』
面ひもを締めればわれは我でなく「至大至剛」に礼して立ちぬ
出ばなわざ一本きめぬ汗くさき面をはづしてふはりと笑ふ
道場と隣り合はせにほのぐらく桜散りゐる靖国神社

歌会始の選者に選ばれる

人々が集まって共通の題で歌を詠み、その歌を披講する会を『歌会』といいます。長い歴史を持つ宮中の歌会始は明治と戦後の改革により、世界に類のない国民参加の文化行事となっています。短歌は日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれ、歌会始には日本全国のみならず海外からも短歌が寄せられ、皇室と国民の心を親しく結ぶものとなっています。毎年1月中旬に催される歌会始の選歌を委嘱されている、5人の選者の1人が九段高校23回の今野(三枝)寿美さんです。

教頭先生は『アララギ歌人』

今野さんが在学中(昭和43〜46年)は大学紛争の真っ只中。その煽りを受け高校も大荒に荒れ、バリケード封鎖という事態にもなった時代でした。2週間全校集会ばかり行われていた時、言いたいことだけを言って講堂から出て行く生徒たちに「もっと話をしようじゃないか」と声をかけながら、追って行く一人の先生がいました。渡邉弘一郎先生(昭和40〜45年九段在職)で、教頭としていっさいの実務を執られ、通常の授業では直接生徒を指導することはなく、選択制の特別授業で教えておられました。渡邉先生の指導を受けた級友から「教頭先生はアララギの歌人」と聞き、そのことが不思議にも強く印象に残り、心に刻まれたと言います。渡邉弘一郎先生は九段高校の教頭先生であると同時に『清水房雄』という歌人でもあったのです。九段高校での清水房雄先生の存在が、後に『歌人 今野寿美』誕生とその活躍に影響を与えます。

大学3年で始めた短歌〜歌人の道へ

短歌を始めたのは国文学専攻だった大学3年の終わりから。お母様からの影響もあり、もともと短歌は好きだったので独自で短歌を作っていました。大学卒業後は好きな短歌を続けるため国語の教師をしながら結社に入り、短歌を作っては新聞に投稿をしていました。
1979年初めて応募した「午後の章」50首で第25回角川短歌賞を受賞。その後も現代短歌女流賞、葛原妙子賞、日本歌人クラブ賞を受賞。同時に数多くの歌集、歌書などを出版。その中には九段高校時代の寒稽古での楽しい体験や喜びを詠んだ歌もあります。短歌を作り続けながら14年間の教師生活を経て、歌人として第一線で活躍されています。そして現在100歳でお元気にご活躍のあの教頭先生、清水房雄先生とはお仕事を通じて交流されています。

言葉の力を信じて〜人として歌の言葉で残す

短歌を一度もやめようと思ったことはない、という今野さんですが、東日本大震災の時は誰もが感じた無力感の中で悩み、もがきながら歌人としての役割を果たしていました。たとえ言葉が出なくなっても、歌によるかけがえのない言葉を残すことが、生きる力と希望になるのだと。言葉の持つ力を信じて、歌人 今野寿美さんの短歌に、今後も大いに期待しています。(高橋暁子・高17)

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