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特別寄稿  銭谷 功(高3) 平成を昭和とつなぐ“ラテンの祭典”~吹奏楽部第10回定期演奏会

吹奏楽部の第10回定期演奏会が、平成30年3月21日、武蔵野市民文化会館大ホールで盛大に行われました。当校OBでプロデューサーの銭谷 功氏(高3)から特別寄稿をいただきました。菊友会報第101号に掲載済みの原稿をさらに編集して、菊友HPに掲載させていただきます。


吹奏楽部定期演奏会 集合写真    (写真提供 九段中等教育学校)

 

開演ブザーが鳴り止むと場内の明かりが落ち、ざわめきがさっと静まる。薄明かりに浮かび上がる緞帳が音もなく揚がると、灰青色の広いステージが出現する。直立不動の演奏者たち、上下ともに黒の衣装、手に手に美しく磨き上げた楽器を持ち微動だにしない。若々しく緊張の面持ち。上手から拍手に迎えられて大柄な指揮者、純白のジャケットに身を包んで登場。中央の指揮台に立つと、指揮棒一閃。最初の曲目“シティ・オブ・ローズ”だ。金管・木管の高く澄んだ音、厚味のある低音部のベース、パーカッション、全体に瑞々しくて清潔感に充ちた音の世界。「えっ、これがこの子達の演奏!?」

前方の席に陣取った僕等3人は86才前後。終戦の年の昭和20年4月1日に都立九段中学校に入学した同級生。生まれた時から日本は軍国主義一辺倒。でも、家庭では手廻しの蓄音機にエボナイトの音盤をかけ、コンチネンタル・タンゴ、アルゼンチン・タンゴを聴いていた。ラ・クンパルシータ、ブルー・ヒンメル、ベサメ・ムーチョ、エル・チョクロとか。

九段高校は空襲にはやられなかったものの荒廃して、3階の音楽室のたった1台あったグランド・ピアノは調律もできず、アチコチの鍵盤が狂った音を出して哀れだった。

あれからの日本の変貌は目まぐるしく、昔のものはどんどん新しいものに変わり続けた。だから僕等戦中派は「今の若者なんて、もうとっくにジャズなんて卒業し、ロックも終わりヒップホップで踊り狂っているのだろう」くらいの認識だったようだ。それで今回の“ラテンの祭典”という言葉に引っ掛かったのかもしれない。と言うのは、山本君と僕とは神田区立淡路幼稚園の赤組さん・青組さん以来の幼馴染み。たまたま地域再開発とかで10数年前、山本君は武蔵野市に移り住んだ。最近の彼はアレルギー体質とか腰痛とかで、都心に出るのもやや億劫になって、お互い逢う機会が少なくなっていた。

もう一人仲好しの吉田君は永田町小学校から九段、そして結婚後は杉並へ。僕(錢谷)は淡路町から今は広尾に居る。そして今年になって、吉田君から「山本君が、久し振りに吉祥寺まで来るように。夕食をご馳走する。メシだけでは…と思案する内、地元の武蔵野市民文化会館という良い音楽ホールで、この文化の日に九段中等教育学校吹奏楽部の演奏会があるということを知った。これは僕等の九段高校とは名前こそ変わったが、僕等の後輩に当たるのだろう。どんなものかは分からないがのぞいてみないか、それから晩メシというのはどうかなー、だって」と電話があった。

 

写真中央の上にパーカッション男子       (写真提供 九段中等教育学校)

 

僕等とは3分の2世紀も年の離れた九段の子達。そのラテンだなんてどんなものかなと神輿をあげたが、この日は季節外れの大雪。開幕のブザーを聞くまでに疲れてしまった。それが1曲目を聴いた途端、僕等の背や腰がピンと伸びた。初々しい清新な音色。外連味なんて当然ゼロ、とにかく一心に自分たちの音を真っ直ぐに吹くことだけ。その姿勢に好感が持てた。曲の撰択がまた良かった。キャリオカ、ブルー・タンゴ、エスパニアカーニ、イパネマの娘と、まるで僕達を喜ばせるために撰んでくれたようだ。欠点なんて全くないが、強いて難点らしきものを挙げるとすれば、生真面目過ぎて表情も動作も余裕がなくて、硬い感じがある。・・・と思う内、僕の目は一番奥の段上、パーカッションの男の子2人に、自然に吸い寄せられた。ボンゴとコンガ。特に右側の全員の中で一番小さい、黒縁のメガネ、やや長目の髪、その坊やが曲に合わせて物凄く良く動くのだ。表情も千変万化。「真面目なみんなの分、僕一人でラテンらしく動くのだ」、そう思い定めているかのように激しいリズム感。それが似合って本当に可愛いい々、ムチャーチョなのだ。これで“ラテンの祭典”がさらによくなった。帰り際、ホールの混雑の中でこのムチャーチョを見かけた。声をかけると「吉沢宗乙、中学2年です」とハキハキ答えて、「上級生たちからは『末っ子』と呼ばれています」とニッコリ。これがまた良かった。

吉祥寺駅前の繁華街で、山本君に河豚料理の名店に連れて行ってもらった。「今度もし新しい衣装を作ることになったら、ちょっぴりラテンの色彩があってもいいかな。それにしても、今の子達…、昔の僕等もあんなに溌剌としていたのかな。そんなはずはないよな、あんな時代だったし。第一、女子は一人もいなかったじゃないか、男子校だったのだもの。そりゃそうだ」。

笑い納めて、僕等はそれぞれの家路を目指した。胸がホンノリ温まって良い気分だった。

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