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前号至大荘記事の訂正と戦時中のエピソード-公益社団法人九段から-

その壱 <塞于天地之間>
至大荘太鼓の胴に刻まれた文字を「天也空地也空」と会報93号でお知らせしましたが訂正します。正しくは「塞于天地之間」。九段中等教育学校の内山先生に解説をお願いしたところ、「てんちかんにみつ」と読め、「浩然の気というものは、至大至剛にして天地の間に満ち満ちている」という孟子の一節でした。旧校舎時代は、柔道場脇の廊下・剣道場寄りに吊るしてあったとの証言も、当時を知る先輩から聞いています。

その弐 <昭和18年の至大荘行事>
93号特集号沿革に「昭和17年で至大荘行事はこの年を最後に9年間中断」と掲載しましたが、昭和17年18年にそれぞれ入学された近藤義郎氏(中19)、滝川誠一氏(中20)から「昭和18年にも夏冬とも至大荘生活は実施した、その写真もある」との連絡をいただきました。
検証のため、菊友会名簿、九段高校50周年70周年等の記念誌を見ると、2010年度名簿を除き「昭和17年を最後に・・・」との表現です。一方、至大荘70周年誌、80周年誌には「昭和18年までは期間を短縮するなど多少変更して実施した」と記録されています。この紙面を借りて「昭和18年を最後に8年間中断・・」と訂正したいと思います。
ちなみに、滝川氏によると昭和18年には学校で英語の授業もあったそうです。

その参 <もうひとつの至大荘>
インターネット上で至大荘を検索していたところ、「昭和18年、初代校長奈良輪先生との縁で、都立九段中学校の至大荘で夏冬合宿をした」にヒットしました。それは千葉県立国府台高等学校(旧制市川市立中学校)の同窓会「鴻陵会」第27号の思い出と題する記事。一方、一游会経由で菊友会に届いた古いアルバム『昭和十八年夏至大至剛 市川市立中学校』には、「初代校長は東京市立一中から奈良輪教頭が派遣された」と添え書きにあり先の記事と内容が一致していました。当時、一中卒業生が助手として市川中学の行事に参加していたとも聞いています。戦時下の歴史の中に、もう一つの至大荘があったことになります。

(横田千明・高19)

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