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九段メモリアル(1) 第一東京市立中学校 第1回生

九段の歴史はとりもなおさず卒業生全員の共有財産。私たちの母校はどんな学校だったのでしょう。メモリアル第1回は、現存であれば100歳を迎えられた中学1回生です。栄えあるお二人に登場いただきました。


糸川英夫さん宇宙にその名を馳せたロケット博士
糸川英夫さん(1912-1999)


糸川さんとロケット(C)宇宙航空研究開発機構(JAXA)2010年6月13日、日本中が歓喜し世界をも驚かせた小惑星探査機<はやぶさ>の奇跡の帰還は、今も人々に感動を与えています。<はやぶさ>が世界で初めて月以外の小惑星<イトカワ>から、サンプルリターンに成功した星の名前こそ、糸川英夫さんの「イトカワ」です。 
ロケット博士の異名で早くから知られた糸川さんは、日本の宇宙開発とロケット開発に多大な功績を残されました。世界が敬愛してやまないのは工学博士としての功績だけでなく、独創的な発想、情熱、行動力で様々な分野にその才能を発揮されたからでしょう。
例えばヴァイオリンやチェロを手作りしました。名器はいかにしてその音を出すのか、自作のヴァイオリンをメニューインに弾いてもらって褒められた時は子供の様に喜んだというエピソードが残っています。海外用には運びやすい組み立て式チェロも。ロケット打ち上げ施設を鹿児島県内之浦に建設したのも「日本は狭いと言いながら国土の10%しか使っていないじゃないか」と考えての、「逆転の発想」からくる過疎地対策でもありました。

はやぶさ (C)宇宙航空研究開発機構(JAXA)こうした独創的な発想に加えて、60歳を過ぎてからクラシックバレエに挑戦するなどの好奇心と行動力。その源はやはり子供時代でしょうか。生家は東京西麻布の笄町、父君は地元の実業高校校長。我が子の教育を託す担任教師を求めてとことん調査をする程の教育熱心な親の元で、英才教育の環境を整えられながらも、当時の東京の豊かな自然や生き物を相手に、自由に、好奇心の赴くままに、やんちゃな子供時代を過ごしたといいます。そして5年生で一中へ、3年間で帝大卒業。
面倒見のよさも特筆に値します。我らが一中を卒業する時は、校長に掛け合って同窓会を作り、2代目の会長も引き受けました。菊友会の始祖です。帝大時代には、「帝大の入り方」を後輩にレクチャーしにたびたび母校へ。有名になってからの糸川さんの講演会には生徒が講堂に入りきれず、外まであふれたといいます。偉大な先輩です。決してあきらめないという強い信念と勇気、大切なのは夢と希望を持ち続けること。「失敗」は必ず「成果」につながるという「糸川スピリット」は、宇宙開発を志す研究者達にしっかりと受け継がれ、劇的な<はやぶさ>生還を成し遂げました。
86歳没。イスラエルのネゲブ砂漠に埋葬されました。自身の著、遊牧民『べドウィンの法則』への共感か、自然児のままに砂漠に招かれたのでしょうか。


松本善三さん99歳まで現役、最長老のヴァイオリニスト
松本善三さん(1911-2010)


写真:日本弦楽指導者協会提供「稀にみる長寿の音楽家として私が心から尊敬する先輩」と、当時98歳の医師日野原重明氏は朝日新聞のコラムで同年の松本さんを紹介しています。「私は現役最高齢の医師だと思っていましたが、私より18日前に生まれた松本氏は、現役で演奏活動もしている音楽家だったのです」
2010年3月、松本さんは日本弦楽指導者協会主催の音楽祭で、98歳でステージに立たれ演奏されました。
松本さんのヴァイオリン歴は10歳から。20歳で鈴木鎮一氏に師事し、新交響楽団(現NHK交響楽団)に入団。ウィーンに留学後、弦楽四重奏団を結成。戦後は主要なオーケストラでコンサートマスターを務められ、その間5年間にわたり年2回のペースで「ソナタの夕べ」を開催し、約40曲のヴァイオリンソナタを演奏されました。東京音大などで後進の育成にも尽力されました。何と76歳でブラジル・ベルン市の音楽学校客員教授に。日本ヴァイオリン音楽史『提琴有情』を出版したのは84歳のとき。日本モーツアルトコンクール審査委員長、日本弦楽指導者協会名誉会長なども務められました。

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